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僕は夢想している。 ある離れ小島に建てられた簡素な一軒屋のベランダに椅子とテーブルを出し、潮の臭いのする優しい風が耳元を掠め、夕暮れ近くの水平線が遠くにみえる場所で、テーブルを挟んで気持ちの穏やかになる紅茶を飲みながらこの家の主である女性が海辺の引き潮のときに拾った様々な貝をテーブルに並べて、それを見つめながら時に貝の表を撫でたりしながら僕に語ってくれている。貝を撫でる手には皺がより幾分ごつごつとして内にそれまでの辿った生活や仕事が鍛えた力が籠められている気がした。化粧けのないその素顔は数週間過ごしたこの島で陽の光や潮風に晒されて刻まれた皺にその痕跡を残している。 都会から一時離れ何マイルも続く海で囲まれた島では、本土と島を繋ぐ橋も電信も電話もなく世間での生活から切り離され、過去と未来は切り離されて、そこには現在しかない。 そこでの生活には不必要なものは捨てられる。どれだけ少ないものでやっていけるかを考え日光を浴びるだけの最低限の着物、鞄ひとつに収まる程度のものしか運び込まない。 屋根と壁だけの空間に暖房も電話もなく湯を沸かす最低限の設備しかない。 無闇と掃除をすることもなく、家の回りに生えている松が外から視線を遮るのでカーテンもない。虚栄心や清教徒的な良心も捨て交際上の偽善も必要ない。 朝、海で一泳ぎする。彼女にとってそれは洗礼をうけ、世界が我々に感じさせる美しさと驚きに再び目を開かせる。そして浜辺から駆け戻って家のベランダで熱いコーヒーを飲み一日の予定を思い浮かべる。 朝食に使った少しばかりの食器を洗い、それから部屋に籠もって仕事をする。自分がどこにいて、この次に何をするかも忘れて書くということに没頭する。字で埋められた紙が積み重なる頃、空腹を感じて軽い昼食の用意をする。そのことは精神的な仕事の海に溺れかけて足が宙に浮きかけるのをそうすることで現実の生活に繋ぎ止める役目をする。 午後はまた浜辺にでかけ仕事について考えることも、考えと考えを繋ぎ合わせる仕事から遠ざかって海と、空と、風に満たされて午後を過ごす。 そうして過ごした午後の時を過ごし、夕方火が燃えている炉の前でゆっくりシェリー酒を飲みながら夕食を共にしてごく親しい者と語らう。 彼女が浜辺で拾った貝は、それぞれ人生のあるステージを象徴するものであり、また主に女性が今日まで置かれていた地位や役割をも暗示する。ほら貝、つめた貝、日の出貝、牡蠣、たこぶね、更に幾つかの貝。 彼女の語る言葉の中から自分が置かれている状況、抱えている悩みや葛藤、これからどこに向かっていくのか、どの貝の話のなかから注目して聞くことができるか選ぶことができる。 簡素な生活の象徴であるほら貝。かつてヤドカリが住んでいた無駄なものは一切ない構造は細部に至るまで完璧な調和をなしている。そこに本質的には精神的なものであると同時に、外面的な調和にそのまま変わりえる内的な調和。聖者の言葉をかりるなら「恩寵とともに」ある状態を望むものである。彼女が浜辺での生活に求めた「不必要なものを捨てる」という思想である。 純粋な愛情だけが支えである男女のごく初期の恋愛にも譬えられよう。 滑らかな表面に刻みつけられた線は貝殻のやっとみえるぐらいの中心、目の瞳孔に相当する黒い小さな頂点に向かって完全な螺旋を描いているつめた貝。それはあたかも輪を描いて段々に拡がっていく波に取り巻かれた島のようであり、島はただそうしているだけで充足している。そして彼女は「ここ」と「今」しかない時間と空間に洗われた島の生活を賛歌する。「ひとりになること」をつめた貝は教えていると。 彼女は孤独というものについて考察しつつ、与えることが女の本能であるが、他人との交渉やいろいろな義務や活動が車になって回転している中心の、不動の軸であることに向かって努力してはどうだろうかと投げかける。 繰り返すが彼女が浜辺で拾った貝は、それぞれ人生のあるステージを象徴するものであり、また主に女性が今日まで置かれていた地位や役割をも暗示する。 牡蠣が象徴するある意味滑稽な人生のステージ。牡蠣はどれもが生活を続けていく必要から生じた独自の形をしている。不格好にでこぼこしているのは、家族が大勢いる家が必要に応じて段々建て増しをしていく様に重ねてみることができる。 子供が生まれ、成長するのに従って増えてきた物達。一人二人と我が子が増えたために必要となるスペース。それもいつかは手狭になって住み替えをしなければなくなり、いつの間にか増殖した家財道具、自転車などの子供達の生活用品、段ボール一杯に使わなくなった本や遊具が物置のスペースで幅を取り、そうして自分たちが住んでいる足場を固めるようになる。が、いかにも不格好な形相をして岩にへばり付いている貝の姿だ。 しかしこの牡蠣のステージは、子供が自立し親が他界し、元の二人だけの夫婦生活となっていく。 しかし著者はいう。もう元の二人だけの生活、日の出貝の密閉された世界には戻れない。我々が余りに大きく、多面的になり過ぎていると。そして中年というのは、野心の貝殻や、自我の貝殻など、いろいろな貝殻を捨てる時期でもあると考えられる。この段階に達して、我々は浜辺での生活と同様に、我々の誇りや、見当違いの野心や、仮面や、甲冑を捨てることが出来るのではないかと。 昔のように活発に活動できなくなっている自分と活力に満ちて働いたり創造的な活動に打ち込んでいる者達を見比べるにつけ、情けなさと無気力さで押しつぶされそうな気持ちになっていたのだが、今の僕の人生のステージは彼らとは違っていいんだと励まされた気がした。 更に僕が注目したのは、女性が本来「与えること」を役目としてきたこと、そして常に瓶から水が零れるように絶え間なく与え続けているうちに、瓶が空になってしまっているということについてと、それと人生の黎明期の仕事本位の生き方から、人生の午後になってそれまでのもの凄い速度でではなしに、それまでは考えてみる暇もなかった、知的な、また精神的な活動に時間を割いてすごすことができると指摘した部分である。 女性が与えることが本来の姿であるという恩恵に浴し続けてきて、全く無意識になっていた自分に、またこぼし続けてきた瓶が空になっている状態を度々みてきたのに半ば人ごとのように見捨ててきた自分に、いやがうえにも直視させられたのである。 近年のことでいえば、棟続きに同居している認知症の父との2年ほどの間、実父でもないのにかけすぎるといって良いほどの手をかけて、生活全般を介護してきた妻に今から思えばあまりに冷たい手のさしのべ方しかしてこなかったことを悔いている。 振り返れば短期間のことながら、兄夫婦が父とともに転居して最期の父を看取るまでの期間、見守る家族に弱った我が身の不安を被害妄想にし、如何に自分が弱っているかを誇大妄想にし、自己中心に当たり散らす姿を誰よりもみてきたのは妻であった。 穏やかなときもあれば荒れ狂う時もある父を彼女なりのやり方で凌いできた日々を思うとき、まさに無償に「与えること」を続けてきた女性の姿を思い知らされる。 これらの彼女からの「贈り物」があまりに多くのメッセージで埋め尽くされている気がして、どれを拾って海に帰してよいのかと悶々としていた。 しかし読者自身がこの著書ななかから自らの人生のステージに照らして我を振り返り、救いや励ましを得ることの出来る希有なものではないかと思っている。 この本は、大西洋単独横断飛行に成功したリンドバーグ大佐の夫人、アン・モロウ・リンドバーグが49歳の時に書いた本である。 アンは、1906年にアメリカで生まれた。国会議員だった父親が、メキシコ大使を務めている時に、4歳上の夫チャールズがメキシコに飛来して出会い、23歳で結婚する。2年後、アンは身重にもかかわらず、チャールズとともに東洋の旅に出かけ、のちにその記録を「翼よ、北に」(02年、みすず書房)にまとめた。 |
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