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help RSS 三島由紀夫『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』豊饒の海4部作

<<   作成日時 : 2008/07/13 09:22   >>

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いったい読んだといえるのだろうか。
 豊饒の海4部作を最後から逆に読んでみようという悪戯を思い立って読み始めた。
そもそも澁澤龍彦『偏愛的作家論』において他の作家を抜いて特段の紙幅を割いて 彼の割腹自殺劇からそれと切り離しがたい本作の書評に割いている。
振り返ってこの4部作を俯瞰しようとすれば、門外漢として鼻先でぴしゃりと閉められた門前で立ち竦まざるを得ない感想を持つ。にもかかわらず敢えてそこに踏み込んで、豊饒なる海中に彷徨いつつ、海水の一泡ででも飲み込んでみたいという衝動は消えないでいる。
 それは三島文学に潜む「危険な魅力」・・・のせいだろう。仮面性、ニヒリズム、揺らめく美学、絶対性への憧憬・・・。それらが彫密なレトリックによって編まれたタペストリーに潜んで、晦渋で牢固な美意識を著している。巧みに構成された虚構の人間世界がこの宇宙の生成と相呼応してマクロにもミクロにも浸潤しあっている。

 豊饒の海第2部にあたる『奔馬』は松枝清顕の生まれ変わりである飯沼勲を首謀とする昭和維新の策謀。五・一五事件後の不穏な時勢に切腹自刃をも辞さない覚悟の同志を集め、政府要人を斬り、帝都の混乱を画策するが、三島自身のその後の行動劇を思わせる内容だ。そのモデルとなり彼等の精神的拠り所となった幕末期の尊皇攘夷の異変を綴ったのが「神風連」の冊子である。このことが、ほぼ全編にわたって作品のなかに挿入され、作中重要な位置を占めている。澁澤龍彦が指摘しているが、この2部は「ますらをぶり」をキーワードとしているのだろう。
豊饒の海全体には「輪廻転生」の主題が貫いていて、自分には不得要領な部分が多く、晦渋で一度読んだだけではとても三島の描こうとした境地には届かない。

 第3部『暁の寺』は、輪廻転生に纏わる唯識論の長々とした研究?的叙述に些か辟易しつつ読み進めていたが、三島のこういう粘っこい執拗さに比べれば、余談だが渋沢のマニアックは断然軽い。軽さの中に鋭利がある。三島は捨て置けないが、渋沢の軽さが我が身に相応しい気がする。

 第4部『天人五衰』では主人公(実は彼は副主人公となるのだが)は既に老成し余命のなかで失うべきものもない境遇にあり、養子として得た少年透の早世を見守るという意図をもっていた。透に漂うニヒリズムは、養父に対する従順さにおいても恋愛においても緻密さをもって裏切っていく。

 この小説では、見られることを意識している存在とそれを終始見守る存在がある。全編にわたり転生していく登場人物と、終始それを見届ける本多繁邦がいる。
 この見られる存在として楯の会を発起し市ヶ谷で果てたような劇的に演出する存在を実行したのは、三島自身に他ならない。
 彼の実行が狂気であれ、何であれこの豊饒の海4部作に思想的に準備されたと仮定せずにいられない熟成がある。
 これは彼の決意であり、終生の美学の終焉を飾る最終章であろう。

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